名も知らない恩人

ポテト

2010年11月30日 13:51

   寒くなってきましたね
   夜風も寒くなり、町にはイルミネーションの灯る季節
   イチゴの収穫もいよいよ本番






          この季節になると思いだすことがあります





   平成9年秋、健康診断で父にガンが見つかりました




         余命3カ月と告知



 母は付きっ切りで病院へ
イチゴも収穫期となり、妻はまだ幼かった娘二人の世話・家事をしながらイチゴの収穫とパック詰め、
私は農協へ出荷してから収穫・パック詰め、
夜にキズ物を筑後の市場へ出荷し、病院で父の様子を見て深夜帰宅・・・という毎日




         息のつく暇もありませんでした



毎日毎日、不安だけが募る中、「自分がしっかりしなければ」 という思いだけで働いていました


 
  そんなある日のこと
いつもよりパック詰めが早く終わったため、早く出荷に行った市場でふいに声を掛けられました



        「いつもより 早いですね」



  荷受担当の年配の男性、
ちょっと前から受付されていたので顔は知っていたのですが、
ハッキリ言葉を交わしたのはこの時が初めてです

 突然のことに戸惑ったのか? 張りつめていた糸が切れてしまったのか?

思わず



      「父がガンで入院していて・・・今から様子を見に行くんです・・・」



                                  と、私はしゃべっていました




  
 それからというものその年配のおじさんは、出荷に来た私を見つけると



        「お父さんの具合はどうね?」、   「しっかりせやんたい」



                      と励ましてくれて、私も言葉を交わすようになりました



 深夜で荷受作業がなく時間があるときには、荷受所のストーブがついた小部屋に招き入れ、
コーヒーを勧めながら私の悩みを聞いたり、自分が入院した時の体験談を話してくれました。




    当時の私にとってそんな一時が唯一、素の自分でいられる時間だったかもしれません。



 やがて父が亡くなり、私は後のいろんな雑事に追われます


 荷受のおじさんも春で市場に持ち込まれる青果物が多くなりました

なかなかゆっくり話す機会がなくなり、5月最後の出荷の時も、ちらっと遠くから姿を見かけただけで帰りました。




    季節は流れ秋、またイチゴの季節となり、私は市場通い
    何回か出荷に行きました




しかし、あの荷受のおじさんとは会わずじまい。

 「仕事の時間帯が変わって御会いしないのかも」と思いながら過ごしていましたが、

 春先のお礼を言いたかった私は思いきって荷受の人に聞いてみました
      (この時、私はおじさんの名前も知らなかったことに初めて気がつきました)










  「あ~、田中さんやろ。8月に突然亡くなったよ。あの時は忙しい盛りで、バタバタやった~…」








        あのおじさんが亡くなった・・・      8月に亡くなっていた・・・





     頭の中が真っ白になり、茫然としてしまいました。


             もう一人の父を亡くしてしまったように…


   時間にすると僅か2時間あまりの出会い


でも、この方との出会いがなかったら、声をかけてもらえなかったら、今の私があったかわかりません。


    「あん時期は、お前自殺でもしそうな顔しとった」  
                        と、知人からいわれたことがあります。


そんな精神的につらかった時に、話を聞いてくれた存在
                 その存在がどんなに大きく、ありがたかったことか・・・


それから2年がたったあとでも、お礼が言えなかったのが心残りだった私
    思い切って市場の人に事情を話すと、快くいろんなことを教えてくれました




           荷受のおじさんの名前は『田中ダイスケ』さんだということ、

           筑後で奥さんが美容室をされていること




 その後、奥さんを訪ました
急な訪問でビックリされていましたし、接客中で多くはお話できませんでしたが




      それでもなんか・・・・・・




   素晴らしい出会い、優しい心を教えていただいたように思います


華やいだクリスマスイルミネーション、イチゴの季節 「夜空ノムコウ」聞くと思いだす昔のことです




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